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詐欺問題も国際ジャーナルは幅広い

現代画報 -進化するケータイ-
必ず持ち歩いているものは?

って聞かれて、お財布や手帳よりも
「携帯電話」
って真っ先に言う人の方が多いんじゃないかな?

実際、携帯忘れて出かけたら、
どうしよう!ってパニックになることもある。

携帯電話はメモ帳にもお財布にもカメラにも変身するし、
時にはパソコンみたいにググルこともできるし、
カーナビとして使えたりもする。
カバンなんて持ち歩かなくても携帯さえポケットに入ってたら
十分な時代はすぐそこなのかもしれない。

同じようなことを現代画報で「進化するケータイ」って記事を読んだんだけど、一方では、携帯は携帯としてのニーズもあって、
-----「電話は電話らしく」電話機能のみに特化させ、その他の機能は別のツールを用いるべきとの原点回帰を唱える意見もある----(記事抜粋)ということらしい。

確かに、あんなにたくさん機能があっても使いこなせてないし、電話だけでいいんじゃない?って思うこともある。私的には、iphoneみたいに、必要なソフトをダウンロードして、自分が便利で楽しいとうにカスタマイズしていくような“小型パソコン式携帯”といわゆるスタンダードな“携帯電話”に分けて、携帯電話の中には、機能の数別にして売ってほしいなと思う。

でないと、対して機能も使わないのに、開発するためにものすごいお金がかかった「技術や機能」の搭載された携帯本体を、高いお金を出して買って・・・って、考えると、優れた世の中なのか?って思うから。経済雑誌の価値
雑誌が好きだ。書き手や編集人によって時に
内容がビーンと頭に響いたり、その逆で
呼んで損をしたなんてこともあるが、
そうした一連の成功や失敗もひっくるめて、
雑誌は面白い。映画やテレビのように予め伝えたい情報
を一方的に伝えるだけでなく、どこか共同作業のような気がする
所も、いいところだ。

昨日も本屋へ。

経済誌、ビジネス誌、ファッション誌、ついでにカルチャー雑誌
を一通り楽しむ。経済誌やビジネス誌はもっと目立つ棚位置に
ならないものか。明日には消費されてしまうような情報誌には、
実はもうみんな愛想を尽かし始めているんじゃないかな?

日本の企業や政治問題をデーン!と紹介している雑誌が
本屋の棚の最前列に並んでいることはあまりない。危ない事態だ。
やれ、おいしいラーメンだの、芸能ニュースだの、
だれでも名前を知っているだろう現代画報や国際ジャーナルといったような雑誌では
私達と企業を身近にしてくれている。テレビ欄のくっついた
情報誌にも、“読者からの相談”的コーナーほどの枠を設けて
日本の経済や政治についてもっともっと情報を発信すべきだ。

知人や他人からでしか政治状態や企業の考え方やあり方の
良さ(欠点も含め)や実情を聞くような世間になってしまえば、
コミュニケーションが減りつつある今の日本なのだから、
きっと近いうちに社会が見えない暗闇のようになってしまう。

ただ、“企業”であれ、“政治”であれ、“グルメ”であれ
他人(雑誌であっても本であっても)と意見を交換しあうのは
いいことだけど・・・


ま、なにわともあれ
ネット社会だからこそ、
紙に落とされた文字の“重さ”を受け取ろういち時代の終幕
90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が
詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。

庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか
250円のトマトにしようかと迷いながらも、
当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。
でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと
願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、
250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。

おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて
いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。
結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと)
が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは
訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。

それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは
いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。


渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、
どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。
10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、
1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。
豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は
案外私達とそう変わらないのかもしれない。

一度頂上まで上り詰めてしまった人が、
次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。
簡単に買える250円のトマトでは満足できない。
190円のトマトを美味しく食べるには、
250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。

大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば
山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。

ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。
100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。
美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、
後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。

90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。
2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、
着実にそこに向かえばいいのだと思う。

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